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絵画

私は絵を見るのは嫌いではないのだが、残念なことに抽象画に関しては全く理解できない。
写実的手法で書かれたもののみ、鑑賞を楽しむことが出来る。
音楽もそうなのだが、作品の背景の意味というものにあまり興味が向かないというか、視覚聴覚からの
刺激に対する反応が勝ってしまって、脳で考えるという処理が追いつかないのだと思う。
だから音楽の場合は8割方、詞よりも曲に興味がいってしまい、絵の場合は10割見た目の判断に
なってしまう。
そういう態度は画家さんや、アーティストの方々には失礼だとは思うのだが、ずぼらな私は
ついつい感覚に頼ってしまうのだ。

先週末、私は千葉のホキ美術館に行く計画を立てていたのだが、前日に地図でルートを確認したら
思いのほか遠く、1泊で行く自信がなくなり取りやめた。
2泊くらいで行かないと向こうでゆっくり絵を見る時間がなさそうなのだ。
見に行きたいと思ったのは夏頃だったので、3連休で行くチャンスはいくらでもあったのに、先送りに
していたら、このザマだ。
高速無料の間に行くことはできなさそうな感じだが、まあ美術館は逃げないので、機会を見てそのうち
行きたいと思う。

予定が空いたので、これまた行きたいと思っていた、近くの美術館で展示中の、”フェルメールからの
手紙”の展示を見に行った。
16~17世紀のオランダの絵画を集めた展示で、フェルメールの絵は3点しかなかったのだが、
沢山の絵を見ることが出来、大変満足だった。

私は美術に詳しいわけではないので素人の感想になるのだが、不思議だったのが、いろんな画家さん
の絵が展示されていたのだが、どの絵も人物はやはり絵にしか見えないことだった。
当時の達人たちが丹精を込めて写実的に描こうとして、写実的に描いた作品なのだろうけれど、
人物の絵は中世ヨーロッパの絵画という感じなのだ。
家具や楽器などの静物は比較的輪郭がシャープで、写真のように見えないこともないのだが、どういう
わけか人物については、表情や輪郭がボヤっとしていて、どれも絵画チックなのだった。
静物はじっくり観察して書く事が出来るが、写真がなかった当時は、人物はずっと観察するには時間に
限界がある。
細部の書き込みは多少は記憶に頼って書かなければいけなかったのだろう。

現代のスーパーリアルな写実絵画は、少なくともネットやテレビで見る限りは写真にしか見えないほどの
精密さを持っている。
以前アンドリューワイエスの展示を見に行ったのだが、近寄ってみても絵であることが信じられないくらい
リアルだった。

絵画には様々な意味が込められているのだろうけれど、少なくとも見た目上は、恐らく一瞬を切り取って
リアルに表そうという試みによって描かれたという点では、今回見た中世ヨーロッパの絵画も、現代の
写実絵画も同じ方向性を持っているのだと勝手に思っている。(違っていたらすみません)
同じ試みで描かれた絵画が現代と中世とで異なるのはなぜなのかが気になった。
それが当時の技法の限界によるものなのか、当時のフォーマットに則って書かれていたからなのか、
光の当たり方が現代と違っていたからなのか、はたまた、写真がないために観察するという作業に時間を
かけられなかったせいなのか、ちょっと考えてしまった。なぜなのだろう?

ひとりだけ、ヘリットダウ(Gerard Dou)という方の絵はサイズの小ささもあってか、人物も精密に描かれて
おり、印象に残った。
Wikipediaを見たらやはり対象の観察にかなりの時間を費やしたということだった。

16~17世紀というと日本では江戸時代だ。
私は日本画には全く興味が持てない。
おそらくあれは様式美の世界なのだろうけれど、不思議なのは当時見たままに書こうという画家さんは
いなかったのか?という事だ。
いたけれど、当時の感覚では価値がないから残っていないという事なのだろうか?

美術に疎いといいながら随分好き勝手に書いてしまった。
不愉快に感じる方がいたら申し訳ない。
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