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祖母

先月8月6日未明、祖母が他界した。

家が近く行き来が多かったため、物心ついたときには祖母は両親同様に身近な存在だった。
話によると両親は、私の誕生後ほぼ毎週末、私を連れて祖母の家を訪れていたという。
多くの祖父母と孫の関係がそうであるのかもしれないが、祖母は私を無条件に肯定してくれる
存在で、また私も祖母にはよく懐いていたと思う。

後に親戚に聞いた話によると、戦争で酒を覚えた祖父は、半アル中状態となり体を壊し、
母が小学校に上がる前に若くして他界したという。
貧しい時代に、母を含む4人の子供を女手一つで育てあげるのは大変な事だっただろう。
祖母が私に向ける顔は、そういった苦労を全く感じさず、いつでも茶目っ気たっぷりの言動で
子どもだった私を楽しませてくれたものだった。
昨年体調を壊し、病院に運ばれた時でさえ、親戚から差し入れられたミネラルウォーターを
100万円の水だから持って帰って飲め、と笑顔で茶化したものだった。
どちらかというとおとなしく、聞き分けの良い子供だった私は、祖母から一際可愛がられた。
スープの冷めぬ距離というのだろうか、私も祖母もお互い良い所だけを見せ合って、お互いに
好感を持ち合える、そういう幸福な関係でいることができた。

6月に再び体調を崩し入院した際、いつ亡くなってもおかしくない状態だ、との診断をうけた。
祖母は91歳だった。
以前書いたことがあったが、私は祖母ほど身近な人の死に立ち会ったことがない。
いつ来てもおかしくない祖母の死に冷静に向き合えるのか、不安だった。
仕事帰り、私はなるべく面会で顔をだすよう務めた。
点滴やらチューブ類を自分で外そうとしてしまう祖母は、病院の措置によって四肢拘束されていた。
四肢を縛られた祖母を見るのは忍びなかった。
私は面会に行くとまず祖母の拘束を外し、アイスを食べたいという祖母にこっそりとアイスを
食べさせた。
帰り道、遠からず訪れるであろう祖母の死を思った。


祖母はやむにやまれぬ事情から、数年前、老人介護施設に入所した。
私はその時、病気で会社を休職していたのだが、今考えると、私が祖母と暮らすことは不可能では
なかったのではないかと思うのだ。
祖母が私の病気に理解を示してくれれば、あるいは介護施設に入らず、私名義で借りたアパートで
同居するという方法も選べたのかもしれない。
全てタラレバの話だが、私はもっと努力できたのではないかと悔やんでいる。

施設に入所した祖母は、単調な生活が影響したのか緩やかに痴呆が進み、面会に行くと、同じ
昔話をループするようになっていった。
私は自分の良心が傷まない程度に、施設を訪れ、自分を誤魔化し続けた。

6月からの2か月間、私は祖母の回復を願う一方で、同時にその死を覚悟しながら、面会に通った。
これが最後の面会になるかもしれないと、毎回肝に銘じながら祖母に会いに行った。
結局、退院して1週間ほどして、祖母はこの世を去った。
面会に訪れるたびに、ベッドに四肢拘束されている祖母を見てなお、もう少し長生きしてくれとは
言えなかった。
退院できたとしても、施設での味気ない生活が待っているのだ。
勿論、祖母には長生きしてほしかったが、祖母の置かれた状況を鑑みると、無責任に長生きしてくれ
というのは、残酷な話だった。
苦労の多い人生を懸命に生き、その晩年があのような状況にならざるを得なかった、ということを
世の中数多く転がっている理不尽の一つとして片付けるのは、私にとって困難なことだ。

祖母の死を恐れていた私だったが、6日の早朝の知らせに対して、自分でも驚くほど冷静だった。
祖母は2か月という猶予を私に与えてくれ、私は祖母の死を受け入れる準備をすることができたの
だろう。

91歳と言えば大往生と言ってもいい歳だ。
間もなく40にもなろうという中年男が、90も過ぎた祖母の死に対してナーバスになるというのは、
滑稽なことだろう。
だが、私は祖母の死にかかるすべての儀式に参加することができなかった。
冷静だったとはいえ、やはり私は少しおかしかったのかもしれない。

死んでしまったらそれで終わりだ。
魂だのあの世だのといった不確かな概念を受け入れきれずにいる私は、一連の行事がむなしく
思えてしまって、やるべきことをやることができなかった。
重要なのは故人が生きている間に、どう関わることができたか、それだけではないだろうか。
通夜も葬式も告別式も、故人のために行われるのではなく、残された者が、残された者のために
行うものなのではないかと、その時の私はそう思ったのだ。
不謹慎な考え方かもしれない。
いい歳して何を青臭い事を言っているのだ、という批判もあるだろう。
正しいか、正しくないか、そんなことはどうでもよく、私は私なりに祖母の死を悼んだ。


偶然にも私は現在、祖母が長年事務職として勤めあげた大学でパート勤務している。
採用が決まってから、祖母に確認して知ったのだが、祖母のかつての職場は私が勤務している
学部の建物の隣の棟にあった。
今の仕事はパートなので収入は少なく、この状況に甘んじていたら生活はできない。
早く体調を整えて、まともに稼げる仕事につかねば、と思う反面、この奇妙な偶然に何か意味が
あるのか、魂だのあの世だのなどと言いつつ、柄にもなくそんなことを考えてしまうのだ。
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canariaさん

11日のご報告を受け、私はとても動揺している。
canariaさんの創作作品【侵蝕恋愛】の、その濃密で独特で時に難解な世界観には圧倒されっぱなしだった。
canariaさんからは、多くの有難い励まし、自作曲に対する賛辞、力強いお言葉をいただいた。
頂く言葉はいつも、いい意味で過剰に丁寧で、どの方に対するものでも、相手の心情をできる限り理解した
うえでコメントされているということがひしひしと伝わってくるもので、私はそのおもてなしと言っても
過言ではない丁寧な対応を、常々見習いたいと思っていた。

canariaさんとは直接お話をさせていただいたので、ここで多くを語ることは控えたいと思う。
いまはただ、さよならではなく関わり方が変わるだけ、というcanariaさんのお言葉を信じたい。


昨年初め、【侵蝕恋愛】の登場人物ケイさんをモチーフにした曲を作り、canariaさんにお贈りした。
作ったというよりは、canariaさんの作品に作らされたと言った方がより正確だろう。
私はcanariaさんご自身による丁寧なご解説をいただいて、自分なりに咀嚼したケイさんのイメージを
そのまま音にしてトレースした。
長い曲になってしまったのだが、作成中はまさに何かに憑かれたかのように次から次へと音が湧いてきて
世界観ありきで曲を作るということがどういうことなのか、身を持って思い知らされた感じだ。
曲自体はcanariaさんにお贈りしたものなので、こちらでの公開は控えていたのだが、ご本人のご意向により
改めてこちらで公開させていただきたいと思う。
ご本人にもお話しているのだが、この曲はまだ終わってはいない。
自然な形で、続きを作れる日が来ることを待ちたいと思う。

introduction -red- unfinished





R.I.P

これぞ メロディアスHM/HR!さんのブログで、SHYのギタリストSteve Harrisの訃報を知った。
脳腫瘍という事だ。

SHYは今年9月にセルフタイトルを冠した新譜SHYを発表しており、発表当時のインタビューでもメンバーから
SteveHarrisの体調不良が告げられていた。
彼の体調不良は、良いボーカリストが新加入し、充実した内容の7年振りの新譜の発表に暗い影を落としていた。
病状についてはメンバーから詳しく語られることはなく、私は精神疾患系かなあと勝手に思っていたのだが、
まさか生死にかかわるほどの重症だったとは思わなかった。
本当にショックだ。
彼のギターソロはとてもメロウで深みがあり、そのフレーズはなんというか裏が取れているというのだろうか、
適当に手癖で作っていない誠実さがあり、独特だった。
もちろんソングライターとしても非常に優秀だった。

SHYは過小評価され続けてきたバンドだった。
日本ではその手のファンからは高く評価されていたように思う。
新譜は過去最高傑作と言われるほどの出来で、私は今後が本当に楽しみだったのだ。
彼の冥福を祈るしかできないだなんて、こんな結末はひどいではないか。
あんまりだ・・・




プロフィール

gimonia

Author:gimonia
絵はブロ友のなによしさんに
書いていただきました。
実物はこんなイケメンではなく、
くたびれたオジサンです。

39歳メタル好き

リンクフリーです。
よろしくお願いいたします。

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